M.S さん(40代・男性)
100日間かけて自分の内面を見つめる「内観100日行」に参加しました。
僕は、仕事でもプライベートでも、こう変えたいと思い描くことはあるのに、いざ自分が変化を起こそうとすると恐れが出て、小さな変化で留めてしまったり、諦めたりしてしまいがちでした。このままでは嫌だと思っていたのが参加のきっかけです。

「錬鍛」という準備の身体のお行が苦手だったので、それを続けることが嫌だなと思ったり、内観の始まる日が近づくと、不安が出たりもしましたが、始まる前から出るこのような心の反応自体が自分の癖でした。
内観行に参加させていただくと、自分の気になっていたことが全部はっきり見えてきました。
人目を気にして自分の意識が小さく収まるところは、父との関係から来ているものでした。父は学校の先生で、地域活動にも熱心で、地域でよく知られている人でした。「M先生の息子さん」と呼ばれることも多く、父の息子として常にきちんとした振る舞いをしなければ、という意識がありました。それは、自分で作った「そのようにするのがいいのだろう」という小さい枠の中で、行動を制限していることでした。自分とつながるためのお行をする中で、「僕にやらせて、僕はできる!」と胸の奥から自分の思いがあふれ、本当は自分の力でいろいろなことに挑戦したくてたまらないことに気付きました。
僕は子供の頃、背が低く、力も弱かったので、自分は弱いと感じていました。大人になってからも、その自己イメージをずっと手放さずにいたので、人目を気にして怖くてできなかったのだとわかりました。環境のせいにしてきたけれど、本当は自分で限界を決めていました。
内観を続けていくと、さらに、「認められたい」認定欲に続いて、安定欲があることに気付きました。最初に小さな枠に収まることを内観したとき、そのことを窮屈だなとは思っていましたが、もっと深い潜在意識では、小さく弱い自分であることで守ってもらうことができ、安心していられるから、それを手放さない欲がありました。だから父のように守ってくれる人をそばに求めたり、誰かの決めた基準、みんながいいという基準に合わせていたのだと気づきました。
もう守ってもらわなくても自分で立てるのだ、その安定したいという欲を手放すと決めたとき、目の前がパーッと明るく軽くなりました。今まで自分が見ていた世界は、人にどう見られているかをいつも考えていたので、生きている世界がずれて存在していて、まるで乱視みたいにずれて見えにくい感じでした。世界が本当に明るくなった感じがしました。
その晩、眠るときになっても、丹田が熱く、背中にまっすぐ伸びてスッと一本の柱が通る感じがありました。ちゃんと自分の魂と繋がっている、神人合一とはこのような感じなのか、とドキドキしました。朝起きてもそれは変わらず、胸が熱く、自分の魂が胸に存在していることを、はっきり感じました。これまで感じたことのなかった感覚がうれしくて、胸にいてくれる魂に対して、「ただいま」「おかえり」と自然に声をかけていました。すると、胸から熱く暖かくホワーっと安心が広がる感じがしました。自分と本当に繋がれたのだなと体感しました。今も世界がより深くはっきりと見えるような感覚があります。
僕は、人和会に出会い、「何故人は生きているのだろう」「人を愛するってなんだろう」と子供のころから疑問に思っていたことを、話し合ったり、分かちあったりできることに喜びを感じます。本当に自分にとって胸の奥の深いところから幸せだなぁと感じる、僕をいかしていける大切な場所です。自然と感謝が溢れます。
続けて内観を繰り返し実践していき、もっと自分自身が明るくなりながら、出会う大切な方々に、本当の自分が明るく自由な存在であること、自分の枠を超えた大きな意識に気づいていっていただけるよう、自分の体験が参考になったら嬉しいです。
ありがとうございました。