杉田 眞治 さん(60代・男性)

私は、会社の同僚の木田さんの紹介で、人和会と出会いました。

25歳の時に、通勤途中、トイレに行きたくなり、出血し倒れて救急車で運ばれました。先生に聞いたら、もう後1時間遅れたら死んでいただろうと言われました。輸血を10本してもらい、約10か月入院しました。原因もはっきり分からず、退院することになりました。40歳の時には、C型肝炎にかかったような状況になり、「インターフェロンを打ちなさい」と、先生から言われました。1回目はインターフェロンが効かず、どうしようもないような状況で生活をしていました。「新しいインターフェロンが出ました」ということで病院から連絡があり、それを打つことで、C型肝炎の菌が全部消えたような状況で生活をしていました。どうしても腸が弱いので、通勤途中や、どこか遠くへ行く時には、トイレが心配で、いつもトイレを探しながら出かけていました。そういう状態なので、なかなか家から出られずに生活していました。

人和会に入会し、お行をする中で腸が強くなり、その心配が今ではなくなりました。毎年、2,3回、38度から39度の高熱を出していましたが、熱も出なくなり、この3年半の間、病院に通ったことは1回もありません。それだけ、自分の体が変化してきていることを実感しました。人和会に入った当時、体重が88kgありましたが、1年程で20kg痩せて、70kg弱になりました。それは、今も維持している状況です。

自分自身の精神も、楽になりました。人に対して自分の心を閉ざしていたと思います。なぜかというと、友達の保証人になり、何百万返ってこないような状況になったり、それに追い打ちをかけるように、弟の家の保証人になり、家賃が全然払われていない状態で、私の所に請求が来ました。そのような中で、私は、心が完全に閉じてしまい、人と関わりたくない、話もしたくない、顔も見たくない、そういう暗い性格で何十年過ごしてきました。

自分が変わったのは、長野に行って教育を受けた時に、先生からの「人と話をする時は、人の目を見て話をしなさい。」という言葉が、ものすごく心の中に残って、それをすることによって、自分も変われるのではないかと感じました。それ以後、人と話をする時は、必ず、目を見て話をするようにしました。

それに、自分で決断することが全くできなかったです。どこに行くにしても、人の言われたままに動いていましたが、自分で決めることが大事だということに気付き、自分で決断するように取り組みました。その結果、海外研修の参加も、自主的に参加しますということを自分で言えるようになりました。

体・心ともにこんなにも変化した自分も丁度退職を迎えますが、これからやりたい夢を持っています。

私は幼い、小さな子供が好きで、不登校の子、いじめられている子、そういう子のための学校を作り、自然に触れてもらう、農業、果樹園、そういうものをやっていって、できた品物を食堂に卸して、皆に喜んでもらう、そして、小さな子供達が、明るく生活できるようになってもらいたいと思っています。これからの人生、生きがいを持って、その夢に向かっていきたいです。