Y.A さん (60代・女性)

私は物ごとを現実的にしか見てきませんでした。そして、人生の中で不満も無いし、困っていることも特に無いのに、常に何か満たされない感じがあって、元気に地面に立っている自分を感じられませんでした。
お行でも色々なことをしてきて、成長させてもらったなと思いましたが、最後の最後、自分で自分を認める感じ、安心出来るという感じが分かりませんでした。

何かのお行のときに、ふとご先祖様に、法と繋がりたいですか、と尋ねた自分がいました。そう尋ねてみたらと、誰かに言われた訳でもないのに、です。
手を合わせながら、法と繋がりたいですか、と思った途端に涙が溢れてしまい、何でご先祖様はこんなに求めているんだろうと思いました。何かご先祖様に背中を押されるというより、せっつかれたような感じでした。それでご先祖様への光明祭をしようと決めました。
私がやる意味は何なんだろうと思いながら準備のお行に入っていきましたが、それから段々と、縁が薄かったご先祖を血脈として実感出来るようになりました。

ご先祖様の無念だったであろう気持ちや、生きているうちの葛藤にも思いを馳せることで、理解が足りなかった自分を自覚させられました。自分のことを思ってくれているご先祖が、どれだけたくさんいるのか、伸ばした両手には多くのご先祖の手が木の葉のように、たくさん感じられました。一人で生きているのではないのだなと、守られているのだなと思えました。

そして光明祭から四十九日を迎える頃には、安心という感じはこういう感じか、と思えるようになったのです。やっと、人様が生きている感じはこんな感じなんだと思えるようになりました。

大声を出すより小声で、意見を言うより引っ込んで、と、自分を殺すような生き方をしてきたことが、自分の人生を生きているという実感がない人生にしていたと改めて分かりました。

光明祭のあと、研修にも参加させていただき、さらに前に進もうという気持ちになりました。ご先祖様の後押しがあったと感じています。ご先祖様を身近に感じる自分がいます。いつのまにか孤独ではなくなり、心に安心が芽生えるようになりました。

今、光明祭から数年経って振り返ってみると、光明祭をさせていただいたおかげで、得体の知れない不安感がなくなったと思っています。光明祭を導いてくださった明母様から事前に、「安心がないんですね」と私の状態を真心込めておっしゃっていただいてましたが、その意味も分かってきたように思います。
かつては不安神経症で、飛行機や新幹線はまったく乗れませんでしたし、自分も周りも信じられない状態で、安定剤は手放せませんでした。薬を飲んでないと思うだけで心臓がドキドキしてしまっていましたが、その薬を手放せたことも喜びとなりました。安心感が広がり、今はまったく必要なくなっています。

自分を自然に出しても大丈夫なんだなという気持ちになれたことは、私の人生で大きな欠落した場所を埋めてもらったことでした。
ありがとうございました。