
稲葉 直子 さん(50代・女性)
以前は、自分の価値や居場所を探し続けていました。何のために生きているのか。なぜ生まれてきたのか。自分の存在する意味が何なのか。家があり、家族があっても、じっとしていられませんでした。子育てや家事をしながら、それらをしたくない訳ではなく、何か分からないけれど、家のなかでそれだけをしているというのがピンと来なかったのです。
何かしたいのに、何をしたいのか、どうしたいのか、自分の中で明確ではなく、もやもやしているし、不安は一杯だし、という状態でした。なぜか分からない漠然とした不安が一杯あり、食べ物に困ることもないのに、何か満たされない感じ。
それを紛らわすためにでもあり、子供たちに不自由させないためでもありましたが、自分が頑張ればいいと走ってきました。止まってしまったら潰れてしまうんじゃないか、死んでしまうんじゃないかと、がむしゃらに突っ走ってきました。そうやって自分の内側の不安から逃げていたのかなと思います。
ただ、自己啓発や心理の本を読んだり、人のために何かしたい、人が喜ぶことをしたいという気持ちもあって、そんなイベントの一つに参加したときに縁で人和会と出会いました。
その支部に行ってみると、ビルの一室にある神社で(長野にある神社の分社でした)、何か普通の神社と違うけれども、ご先祖様か魂が導いてくださったと思って、なんだかんだ言いながら通っていきました。
実は、私が若いときに父親が自ら命を絶っています。その原因も分からず、ずっとそれを引きづっていました。絶ったときは学校の旅行に来ており、そのとき、ある級友が口にした、だるいから帰りたいな、ペットでも死んじゃえば家から連絡が来て帰れるかな、という軽口に対して、相槌を打ったりしたのです。私が相槌を打ったからだ、という罪悪感が、まだ幼かった当時の私の中にこびりついてしまいました。
成人してから、ひきづったままだったそのときの父親の気持ちを知ろうと、霊視が出来るという方や、色々な人に相談に行きましたけれど、何を聞いてもスッキリしませんでした。
あの当時、私は父親との時を止めたという感覚がありました。その感覚は誰にも話したことはなかったのですが、でも人和会で孝福祭をしたときに、祭司をしてくださった明母様から、お父さんの時が動き始めましたね、と仰っていただきビックリしました。そのときの感じは、何か自分の中の悔いや罪悪感までも変えていただいたようでした。
また、20代のときに知り合いが飛び降り自殺をしたり、実の息子に刺されて逃げてきたお爺さんと出会ったりしたことがありましたが、その方々が現れて「ありがとうね」と言って去っていく感じが湧いてきたりしたのです。
それからは、もう止めた時間のところに戻ったり引っ張られたりすることが無くなりました。どこに行っても何をしても消化できなかったことが、人和会に来て一つ一つ、溶けていきました。
人和会に通い始めた頃、今はもう会員が増えてきて出来ないかもしれませんが、その頃は明母様が直接一人一人に教えてくれる機会が沢山ありました。すごく大きな存在で、なんと言ったらいいか、人間的な性格や情の部分ではなく、何か相手が本当に成長するように、時には厳しく、時には大きな愛で、その方の内側にあるものを引き出していかれます。一人一人の本当に細かなところまで見ていらっしゃる、その心の大きさがあって、私もここまで来れたと思います。すごいな、と。
何年かお行を続けるうちに、更に成長しようと人和会の先生になりたい気持ちがでました。そんなの無理、という葛藤も出て、心の中で抵抗してました。でもやっぱりやりたいんだ、と胸から出てきて、もう自分の居場所を探していない、自分が存在する意味が漠然であれ分かっている、と気付きました。それでとても頑張って、年齢的には異例でしたが先生になることもできました。ずっと祝福されてきたなと感じます。
それまで、生活のルーティーンのなかで決まり切ったことだけをしてきたのに、50歳を過ぎて人和会と出会い、人生の転機と思えるくらいの大きな変化が起きたことにただ驚き、ただ感謝しています。
漠然と、地球を守りたいという思いもありましたが、一人では何もできないと諦めていました。でも明母様のお話、人和会の目指す方向を聞いていくうちに、目指すところは同じだと、そして人生を終えて帰るところも同じだと思うようになりました。
地球が救われることを望んで生まれてきた、と感じる自分もいます。今はまだ葛藤だらけの部分もありますが、でも変わっていけると感じる自分もいます。
ありがとうございます。